サンマルクや牛角が広がったわけ②
Tweet Check2022年 1月 12日 (水) セミナー&イベント, 調査報告 by nobu
サンマルクや牛角, カーブスが広がったわけ
コロナ第6波が始まろうとしてる今日。コロナ禍中、コロナ後の多角化や新規事業探索の一助となればと思い、法人フランチャイズのFC加盟開発の第一人者であり、日本発のマルチフランチャイジーとしての株式上場を果たした土屋晃より講演をさせていただきました。
牛角フランチャイズ加盟開発
2つ目の焼肉酒家牛角。これは今625店舗になっていますけれども、最初にお手伝いしたのは三軒茶屋の1店舗目からでした。創業者は西山さんという方ですけれども、なぜお手伝いしたかというと、当時は焼肉が非常に高級料理でした。1人8,000~10,000万円。なかなか行けない。「でも焼肉が食べたい、お肉大好きだし」という人がたくさんいる。
郊外には安い焼肉屋がたくさんありました。3,000円、2,000円で食べられる焼肉屋がたくさんありました。そういう郊外型の焼肉屋も家族では結構入っていました。でも若者はそんな所に行きたくなかった。
であれば、当時若者がどこに行っていたかと言うと、ちょっとオシャレな居酒屋ですね。籠り感のあるちょっとオシャレな居酒屋に結構行っていました。そこでお酒が飲めて、焼肉を食べられて、ちょっとオシャレで、彼女を連れて行ってもカッコイイ所、そういう店があると絶対に流行るのではないか。しかも1人3,000円ですよ。飲めて、焼肉を食べられて3,000円。「絶対にイケるんじゃないか!」ということで、三軒茶屋に1号店を作ったのがスタートですね。
飲んで、食べて、だから名前に【焼肉酒家】と付けているのは、焼肉居酒屋の業態だったのです。郊外型の焼肉屋の場合は大体食べるだけで、アルコールは出ない。でもちょっと居酒屋感覚のある所でお酒も出て、焼肉も出て、3,000円で、「流行るんじゃないの?」ということですね。
実際に自分で加盟した牛角
私が加盟したのが15店舗目くらいの時で、阿佐ヶ谷に加盟店を作ったのですが、阿佐ヶ谷の牛角の私達の1号店は、大体28坪しかありませんでしたけれども、夕方5時から12時までの営業で大体1,300万を月商で売っていまして、毎月400万円の利益が出ていました。
今はほとんど難しいと思いますが、当時はフランチャイズが成長過渡期に入ると、創業者利潤・先行者利益というのを作ることができます。今はもう、拡がってしまった後は無理ですけれども当時はそういう風な成長期でした。
経堂にある「牛鉄」というのをベンチマークしました。まだ牛鉄というのは、実は7店舗くらいしかありません。牛角にベンチマークされた業態ではあるのですけれども、伸ばしていくことが出来ず7店舗。片や牛角は625店舗。
クルマのガリバー
3つ目、車の買取専門店のガリバー。これは福島県の須賀川市に23店舗くらいあった時にお手伝いしたのですけれども、今500店舗になっています。環境としては、車の販売台数が急上昇していました。みんなが車を買う時代。そうすると買った車は絶対売るのですが、どこに売るか、売る場所がありませんでした。
新車のディーラーは下取りしますが、凄く安い金額で下取りをします。もしくは日産の車をトヨタに持っていくと、もっと下取りが低くなってしまう。本当に高く買ってくれるところはないのかという時に、車の買取専門店ガリバーというのが出てきたわけですね。
車の知識がないと、自分の車の相場がいくらなのか分からない。それまでガリバーが出てくるまでの車の買取専門店業界というのは、非常に安く買う。車を売りに来る人に知識がないので、「お客さん、この車は人気がないんですよ」とか、「ちょっとここに傷が付いていますからダメなんですよ」と言って安く買う。それを高く売って利益を出しているのが車の買取専門店です。
ガリバーはそこにチェーン化の理論を入れて、1台当たりいくらしか抜かないと決めました。そうすると非常に明快で、お客さんが安心してくれる。騙されることがないという形になるので。それで爆発的に拡がったのがガリバーですし、サービスが非常に悪かった車の買取専門店業界に、サービスを、ホスピタリティとサービスを入れたのがガリバーですね。そういうようなマーケットの趨勢がありました。